南京大虐殺死難者慰霊 本文へジャンプ
埼玉県保寧寺ホ−ムペ−ジ「和尚のつぶやき」から転載させていただきました。
急遽決まった中国、南京と北京行き。主たる目的は、南京大虐殺者慰霊の旅。
中国共産党は、2014年、12月13日この日を「南京大虐殺死難者国家祭典日」に定めました。
この日は国家が公的祭紀活動を挙行し、死難者を追悼する日となった。その趣旨はこうである。
「我々が南京大虐殺の死難者に公的祭典儀式を挙行する旨は、善良な誰にでも、その平和に対する憧れと堅守意識を喚起したいというところにあって、まったく讐と恨を伸ばしていくと言うところにはありません。日中両国の人民は、いつまでも友好的に付き合って、過去を鏡に、未来に向かって、共同で人類の平和のために、自分の貢献を捧げていくべきです。」との習近平中国共産党国家主席の2014年12月13日の講話であった。 昨日、南京の朝は曇っていた。一時の方向、朝の月はガスにかかってなにやらあやしい。が、今朝の南京は静かで美しい。この日(12月13日)は、稀にみる好天気で、雲、風皆無の中での式典挙行であった。写真をご覧ください。
後方は南京中の高校生と大学生か(?)と思われる学生、ざっと2万人。私達一行五人を含め、ひっくるめて一般並びに外国人5千人。軍隊警察政府関係者を含めてこれまた5千人。ざっとざっとで、式典参列だけでもこの数である。式典関係者、報道、警備等含めると5万人は下らない国家式典行事である。私どもは中国仏教会の招待故か、式典開始前十数分前の入場であったが、学生たちは2時間前からの整列であろう。軍隊などは、直立不動の待機である。式典は誠に簡略に行われて清々しいものであったが、老体には直立不動は誠にきついものがあって、このまま続く様だと危ないなあ?と思い始めた頃、緊張と立ちづくめ故か前列の外国人が二人ばかり倒れた。やっぱりと思ううち、式典は終わった。厳粛、簡略であった。宗教色は一切無かったし、中国宗教者( 僧侶)の姿は見つけられなかった。

午後3時より同じ場所(南京大虐殺慰霊広場)の「嘆きの壁」にて宗教者に依る追悼式典は厳修せられる。中国僧50名ばかり、臨済僧5名、浄土真宗僧十数名 が順次其々の形式にて追善の供養を行う。一般の参加者は200名ぐらいでしょうか?
真宗僧の中に一人カトリックの神父も在って手に真宗の経本を持っておりました。
不思議に思ったことは、なぜに中国僧の式典随喜がこんなに少ないのかと思ったl事でした。インド原始仏教時ないならいざ知らず、中国仏教は先祖供養思想も盛んな筈。
「なんでやろ?」と訝りましたが、共産党と仏教との間にはきっとナンヤカンヤがあるのかも知れないと思い、深い詮索は無し。それに、献笛の音色もまずまずで一安心。先般の京都 霊雲院での恥の上塗りは避けることが出来ました。
山田無文老師、三十三回忌法要随喜のご縁の中国僧へのお礼も兼ねての今回の中国。いつもながらの御接待を頂いて恐縮ばかりの有り難さ。分けても、南京慰霊に当たって、中国仏教会からの御接待は恐縮至極の至り。「本来ならば、我々が御接待しなければならぬ立場にありながら、このような席をご用意下さいまして、このありがたさは、言葉では到底いい表す事はできません。」則竹老師のご挨拶の一文でした。
思えば十五六年も前か?日中合同報恩接心が日中間で歴史上初めて行われたが、報恩接心終了後、中国全土の禅宗寺院で、平和祈願法要巡礼のおり、南京虐殺慰霊広場で日中合同慰霊法要を行う。これが最初のことである。
小雨の降る寒い日のように思ったが、定かではない。それから十有五年、欠かすことなく、この日には、則竹老師の祈りの姿が、南京大虐殺慰霊碑「なげきの壁」前に有った。毅然とした十五年前を思い返せば、老師は弱られた。弱られたその分が一層の気力の魂となって、祈りの深さとなっていく。共に祈れる我が身が有り難く、深い思いを致すばかり。
帰路、北京の朝は雪。昨夜からの天気予報通り。湖面の水もしっかりと氷が張り詰めて、道ゆく人も寒そうです。最後の行事、中国国家宗教局(最近はもっと厳しい戦闘モードの名前に変わりました)へ表敬訪問に伺って飛行機の人となる。